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輪読会#5:Plan / Situated activity 2020年12月3日

更新日:2023年2月20日


 

新型コロナウイルス感染症対策をしながらの輪読会も5回目を迎えました。

今回のテーマは「Plan / Situated activity」とし、以下2つの題材をもとに議論を行いました。

・映像作品:Bong Joon-ho: Parasite (2019)

韓国の深刻な経済格差を通して現代社会の分断や連帯の破綻を描いたもの。

・論文:Dant, T. and D. Francis: Planning in Organisations: Rational Control or Contingent Activity? (1998)

計画が合理性と偶発性のどちらの側面も含んでおり、二項対立的なアプローチからの脱却を主張するもの。

今回は5講座の立花くんも飛び入りで参加してくれ、充実した議論をすることができました。

映画は、2019年のカンヌ・パルムドールであり、エンターテイメントとして文句なしに面白いですが、主人公たちが度々口にする“計画”という言葉とストーリーの顛末を通して、今日における“計画すること”の困難についても深く掘り下げて考えられる作品でした。一方、論文は、組織における計画の扱われ方の分析を通して、計画の実体がだんだんとわからなくなってくるスリリングなものでした。

これら2つの題材をもとに、普段自明で、どこか絶対的なものとして扱いがちな計画が、実は多分に不完全で不確かなものだということを参加者みんなで共有できたように思います。


スライドを使って映画・論文の内容を共有


意見交換の場では、ある時点で何らかの将来像を先立って決めることにより人々をまとめることができる計画の求心力、計画があることで現在の行動を適切に選択できたり確信を持てたりする拠りどころとしての計画の側面などを確認していきました。しかし、不測の事態はどこかで起きるもので、不確実性が増した今日の社会において人びとは、プランとノープランの間を揺れ動きながら、より切実に計画にすがっていくのであり、映画ではその様子が鮮やかに描かれていたことも確認できました。

そして、計画とは社会的に共有されたビジョンやグランドデザインがあるとき最大のパフォーマンスをするもので、そうしたものが見つけにくい今日においてはどのようにそれらを代替するものを見出していくのか、そのときの計画とは何を指すのかといった話題について参加者で考えました。その際、建築のフィールドでのいくつかの実践例をもとに話し合いました。(例:青木淳さんの原っぱと遊園地などに代表される非計画的スタンス、饗庭伸さんの参加型ワークショップの際に合意形成された結果だけではなくそれ以外の情報も意識してデザインに取り組むこと、塚本由晴さんのクラブ、メンバーシップなどにもとづく脱施設的アプローチ、乾久美子さんの建築におけるそっけなさなど)。

個人的には、平面図や断面図をプランと呼ぶことが計画の本質に通じているのではないかという指摘にハッとさせられました。平面図や断面図はある面での切断面であり私たちはそれらを実際に体感することはできない。計画も将来の道筋を示したものでその道筋に絶対の確証があるわけではなく、事実、映画や論文でも計画という言葉が何を指しているのかだんだんとわからなくなっていきます。平面図・断面図も計画も、そうした「描くことはできるがその実体を確認できない」という共通点があるからこそ、同じ言葉を使っているのではないかという指摘でした。普段よく使っている言葉の意味がガラリと変わる瞬間で、目から鱗が落ちました。

翻って、札幌では現在、新型コロナウイルス感染者の増加が著しく、その場その場での対策は行われているものの、中長期的な状況把握の見通しが悪くなってきているように思います。少なくとも僕自身は“ノープラン”で、もう少し先のことも見据えながらコロナの問題を考えていく必要があるようにも思いました。

D5 坪内

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